娘はあまり「謝らない」子でした。
しかしある日を境に謝ることができるようになり、
その際に自分の非を認め、気持ちを整理することの難しさ、
親として「諦める」のではなく「子どもを信じて待つ」ことの大切さを実感したので
ブログとして残していきます。
謝ることの難しさ
娘は2歳を超えて、
ある程度「やっていいこと、悪いこと」の分別がついているのに
私の顔をわざと叩いたり
わざとコップに入ったお茶をこぼしたりすることがありました。
「やってしまったことは仕方ないけど一言謝ろう」と言っても
頑なに口を開かず、「謝る」という行為をしませんでした。
「なぜ謝れないんだろう」
「この子は悪いことだと認識していないのだろうか」
「私の意図は伝わっているのだろうか」
そんなことをぐるぐる考えても謝罪の言葉は聞けず、
次第に私も「謝ってね」と伝えるだけで
実際に謝ってもらうことは諦めていました。
娘が初めて謝った日
しかしある日、
娘がまたわざと私を蹴ってきたので
期待はせず「謝ってね」と伝えました。
やはり「ごめん」は言わず再び遊び出したので
毎度のことだなと思い、私も家事を再開したのですが、
その10分後くらいに
本当に苦しそうな顔で、下を向きながら「ごめんね」と言ってくれたのです。
私は胸が締め付けられました。
「本当は悪いことをしたら謝らなければと思っていたんだ」
「大人だって自分の非を認めるには難しいよな」
「頑張って自分の中で気持ちを整理して謝ってくれたんだ」
いろいろな思いが駆け巡り、
気づくと娘を抱きしめていました。
子どもを信じる力
私は娘に「ごめんと言ってくれてありがとう」と伝えました。
と同時に「どうせ謝ってくれない」と娘を信じていなかった自分を恥じ、
結局子育てってどれだけ子どもを信じて待てるか、だと気づきました。
「何回言ってもどうせわかってくれない」と諦めるのではなく
「信じて待つ」ことで親子の絆が深まるのだと実感した経験でした。
これは幼児だけでなく、中高生の子育てにももちろん当てはまると思います。
思春期こそ信じる努力を
私が中学生のとき、
母親に「昔はそんな子じゃなかったのになぜそうなったのかわからない」と言われたことがありました。
その時完全に見放されたようでとても悲しかったのを覚えています。
思春期って
環境だったり友達に影響されて
自分でもなんでそうしているのかわからないような行動をとってしまう時期だと思うんです。
そんな成長段階の子どもに正論をぶつけても意味がないんですよね。
まずは寄り添う、気持ちを引き出す、否定しない、信じて待つ。
まだ娘は3歳ですがこれからも大事にしていきたいモットーです。
まとめ
今回は、3歳児に教えてもらった、
自分の非を認めることの難しさ、
親として信じて待つことの大切さを体験談として記載しました。
親子もそうですが、
社会に出ても部下を信じて自由にやらせてくれる上司は信頼が厚いですよね。
自分の価値観を押し付けず、
相手の価値観も尊重し、
お互い信頼しあって生きていくことを忘れずにいきたいです。